5年前の自由


ある事をきっかけに
東京の川の事を思い出した。
中野に住んでた時、 
バイトの面接に行くために
バスで通った神田川、
大好きだった吉祥寺の
1人で行った井之頭公園。
あの池をベンチに座って
ボートを眺めていた。

あの時、私はきっと自由だった。

縛るものはなんにもなくて
自分で歩いていくのみ。
自分でなんとかしなくてはならない。

時間が何をしても余るほどあった。

だから散策をよくしていた。
感じた事のない空気の香り。
聞きなれないイントネーションが
飛び交う町。

地理も分からずナビを使う毎日。

それでも自由には変わりなかった。

大嫌いなものが離れて初めて
大切だと気付いた事もあった。

産まれてよかったと
産んでくれてありがとうと
はじめて思った。

19歳の12月23日から
2月23日まで。
きっちり2ヶ月だったと思う。

その2ヶ月の風景は
毎日バスで通った道も
早朝に中野坂上駅まで
歩いた雪道も
マンションの下にあった
スーパーみたいなコンビニも
住んでいた部屋も
毎朝アラームで流れて
私が先に起きる
マキシムザホルモンの恋のメガラバも。
トイレに貼ってあった世界地図も
油絵の絵の具の匂いも
間違えて縮ませてしまった
妹さんのセーターも。
小学生の図工の時間に作ったという
鍵掛けも。

隈無く
5年経ったいまでも
鮮明に色まで全て覚えている。

自由だった。

誰も何も私も、
私を止めなかった。

何時に何処に居ようが
何をしていようが
誰にもとやかく言われなかった。

懐かしく、でも鮮明に、
愛おしく、思い出す。

あの時聴いていたのも
Haruka nakamuraだった。

どうして今、ここにいるんだろう。
帰ってこなければよかったのか。
今更、もう今更だけど。

向こうで
幾つものオーディションを受けた。
2ヶ月で4つの舞台と朗読劇の
オーディションに受かった。
事務所にも受かった。
見学して、
金ヅルになりたくなくて辞退した。

関西人はそれだけで
あの頃はうけがよかった。

あのまま東京にいたら、
私はどうなっていただろう。
健常者のまま、
真っ直ぐにだけものごとを見て、
あの人達の言う人格になっていたら。

少しは胸を張れていたのか。

今となっては
後悔しても反省しても
何の意味もなさないこと。

土地が悪いわけがない。
環境が悪いわけもない。

ただ、私が勝手に自由を
自分自身で縛り付けているだけだ。

自由に、は、いつだってなれるのに。

何処でも、いつでも、
この瞬間にだって。

でも時間が経って今、
その方法さえ分からなくなって。

1日でいいから
東京に行って中野の
中野坂上駅までのあの道を
1人であの道をまた歩いてみようか。
新宿までのバスにもう一度乗ろうか。

でも、そんな事したって
きっとその空気を感じられるのは
一瞬で。

根本を変えないと
あの景色はきっともう一生見れない。

あの景色を、
もし見れたなら自由になれるだろう。

物理的にではなく。

少しでももっと思い出したい。
そしてあの頃の気持ちに戻りたい。

そしたら、
私は自由になれる。






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